生きててくれてありがとう

こんばんわ
今日も無事終わりました
世の中はGW終わりましたね
みなさんいかがお過ごしでしたか
あたしは仕事に遊びに忙しかったです
まだまだ仕事もあと2連勤
それが終わったら楽しみが待ってる
だからがんばろう




今日は母の日でしたね
日付け変わったから昨日か
起きたらいなかったしあたしは仕事だったから
一緒には過ごせなかったけど
夜中帰ってきたら会えたので一言言いました
母の日おめでとうって



なにがおめでとうなの?
って言い返されました←
さすがうちのママ
そうなりますよね







今日のブログのタイトル
好きな曲名でもなんでもありません





昔うちの母に言われた言葉





あたしが4年前
精神疾患の病気になって
身も心もボロボロの状態で帰ってきたとき
たった一言
言われた言葉





当時あたしは地元にはいなくて北海道にいました
仕事と人間関係でおかしくなっていき
眠れずごはんも食べれず誰とも連絡取らずにいました



地元の友達とも全て連絡をシャットダウンして
自分の誕生日のときでさえお祝いメールや電話も無視していました


母からは一文だけのメールが送られてきました




生きてるの?


と一行だけのメール




それに対してあたしは


生きてるよ


とだけ返した




そっから連絡はなかったけれどやはり母はわたしになんかあったんだと気付いてたみたい




北海道での日々に限界を迎え
仕事を終える前に帰宅することになりました



フェリー
飛行機
新幹線を乗り継いでやっと長野に帰ってきました



地元に着いたときは親友が駅まで迎えに来てくれて
会った瞬間に抱きしめてくれた

今でも覚えてる
泣きながら抱きついたのを




そして家に帰ってきました
母はあたしの姿を見て一言


生きててくれてよかったありがとう
って




そしてそこからが長かった



約一ヶ月間の引きこもり生活
自傷行為との戦い



あたしが仕事もせず
家に引きこもってても母さんは何も言わなかった

北海道で頑張り過ぎたんだね
ゆっくり休みなって


だけど当人のあたしは北海道での出来事が忘れられなくて毎日夢の中にでてきては泣いて悔やんで落ち込んで
周りを恨んで自分を責めて
そして腕にタバコの火を押しつけて
日々その繰り返しだった



どんなことがあってもあたしを責めなかった母さん

ただ何かのきっかけで言い争いになったとき
あたしが切れて腕を見せて言ったことがある



死にたいと思ったことあんのかよ


って



母さんはあたしの火傷だらけでボロボロになった腕をそのとき初めて見た




言葉を失って一言だけ




嘘でしょ…
って言った




どうして



なんで




母は泣いてました





そのとき初めて後悔した




自傷行為はあたしが生きる意味
生きてる価値を見出してくれてた
というより腕にタバコの火を押しつけてるときだけは
痛みと熱さ
それを感じることでまだ生きてる
そう思えた
そして安心することができた


死にたいと思ってやってたわけではない
逆に生きてると実感できるからやってた
後悔はしてなかった



けれど母にその腕を見せて泣かれたときだけは本当に後悔した



やっちゃいけないことだったんだなって




バカだからそれまでそんなことも気付かなかった






そして母は悩みに悩んで
あたしに精神科への入院を勧めてきた



少し休んで来なさいって



それまではあたしが病気だってことを心のどこかで受け入れられてなかったみたい


だけど日々の気分の変わりようと
自傷行為がやめられなかったこと
全て含めてやっとおかしいと感じた母



あたしが精神疾患の病気になったこと
今ではやっと受け入れられるようになった母さん



それでも正直今でも受け入れたくないと思ってる母さん




母になったことがないからわからないけれど
あたしが想像してる以上に辛かったと思う



自分の娘が精神疾患の病気になって
ましてや精神科に入院をして
どれだけ苦しんだだろう


受け入れるまでにどんな思いがあっただろう



あたしがそれを知るにはまだまだかかる




実際あたしも大変だったけれど
母の想いに比べれば比じゃないと思ってる



あたしなんて自分で選んで自分で進んだ人生の結果がこうだったんだから
まだ結果というには早いけれど




実際入院生活中はいろいろあった


基本点呼とごはんのとき作業療法のとき以外は
自由時間の病院生活



ひまで仕方なかった


グラウンドで散歩したり
中庭でバスケしたりした


地元から離れた病院に入院してたけど母さんとは電話で連絡取り合ってたけどいつも喧嘩ばかりだった



ひまだからマンガ届けてほしい

そう言ったらあんたは病気治すために入院してんだからそんなもの必要ないでしょ!
と言われ


週末は友達が面会に来てくれて一緒に出かけたかった
でもそのためには家族の許可が必要だった
母さんに言ったらなんで入院してんのに外出なんてしなきゃいけないの!
おとなしくしてなさい!
と言われ


もうあたしも言い返すし母さんも言い返すし
毎回喧嘩ばかりだった



退院してからも大変だった
最初は仕事もせず家事手伝いの毎日

洗濯して掃除してごはん作って
その繰り返し



友達と出かけたいと言うとあんたは退院したばっかだし仕事もしてないんだから必要ないと言われ
そのたびにまた喧嘩して



バイトだけど一日数時間の週3日とかで仕事も再開した




慣れてきたら調子乗って違う仕事に転職したあたし
そこでまた失敗して入院をした


またもや落ち込む母さん


2度も精神科に入院するとは思ってなかった



それからも何ヶ月かに一回は入院したいと泣き叫んで喚いてたあたし
その度に夜中だろうが朝だろうがひたすら話を聞いてくれた母さん


なんどもなんどもぶつかり合った
そのたびに乗り越えてきた
気付けばもうしばらく入院したいとも言ってない




娘の幸せを一番に願ってくれてる母さん
旦那よりも一番大事なのはあたしと姉さん
二人が一番大事と言ってくれる
最愛の娘


あたしもお姉さんももういい歳になったけど
相変わらず母さんっ子


喧嘩もするけど昔と変わったのは
必ず最後にお互いごめんねと言えるようになったこと



あたしは母さんがいないと生きていけない
母さんがいたからここまで生きてこれたし
母さんがいたからこの世にいれる
感謝なんて言葉じゃ足りない


一生を賭けても恩返ししきれない
感謝の気持ちを返し切れない




あたしがげんきに毎日笑って過ごせてること
健康で過ごせること
それが一番の親孝行だと思ってる




たくさんのありがとうを伝えていこう
ごめんねは必ず言おう



あたしが生きてられるのは
ここまでこれたのは母さんのおかげたよ


ありがとう



自慢の娘にはなれるかわからないけど
母さんにとって世界一の娘になれるようがんばるよ



ママもげんきでずっとずっと長生きしてね
愛してるよ



家族の幸せ
みんなの笑顔
ずっとずっと続きますように



ありがとう
母さん